2011年6月30日でNiftyのタイムライン・サービスが終了したので、以前表示されていた年表はなくなってしまいました。
一応、お知らせまで。
なお、最後の更新からこっちで結婚してしまい、なかなか1年分のアメコミを広げて更新作業をできるような環境ではなくなってしまい、続き分の更新はそう簡単にできそうもありません。
今後とも放置の予定です、申し訳ありません。
一応、お知らせまで。
なお、最後の更新からこっちで結婚してしまい、なかなか1年分のアメコミを広げて更新作業をできるような環境ではなくなってしまい、続き分の更新はそう簡単にできそうもありません。
今後とも放置の予定です、申し訳ありません。
昨日の2007年分をもちまして、日刊X-MENヒストリーの予定更新分を終了いたしました。
1ヶ月ちょっとの間おつきあいくださった皆さま、ありがとうございました。
後半はかなりの文章量で強引に1年1エントリを貫いたので閲覧者おいてけぼりになるのではないかと心配していましたが、アクセス解析のユニークアクセスを見る限り毎日おおよそ50名の皆さんに読んでいただけだようです。
最初にもお断りしましたが、このブログで書かれた内容は必ずも公式であったり正確であったりするものではありません。
英語力・理解力の不足や先入観、読み飛ばしなどで間違った解釈をしてしまっている部分も多いと思います。
多くのネット情報と同じく眉につばつけながら読んでいただくこと前提で、少しでも皆さまのアメコミライフのお役に立てたなら幸いです。
さて、2008年分の更新ですが、今年2009年中には更新したいと思っています。
同じように2009年分は2010年中にといった具合で年1回更新していけたらいいなぁとは思っていますが、さすがにそんな先のことまではお約束はできないですね。
たぶんその時のブログタイトルは「日刊X-MENヒストリー・アニュアル」とかそんな感じで。
それではこれをもちましてGraymalkin 10周年記念企画「日刊X-MENヒストリー」、一旦の幕引きです。
最期までお付き合いいただいた皆さま、ありがとうございました。
1ヶ月ちょっとの間おつきあいくださった皆さま、ありがとうございました。
後半はかなりの文章量で強引に1年1エントリを貫いたので閲覧者おいてけぼりになるのではないかと心配していましたが、アクセス解析のユニークアクセスを見る限り毎日おおよそ50名の皆さんに読んでいただけだようです。
最初にもお断りしましたが、このブログで書かれた内容は必ずも公式であったり正確であったりするものではありません。
英語力・理解力の不足や先入観、読み飛ばしなどで間違った解釈をしてしまっている部分も多いと思います。
多くのネット情報と同じく眉につばつけながら読んでいただくこと前提で、少しでも皆さまのアメコミライフのお役に立てたなら幸いです。
さて、2008年分の更新ですが、今年2009年中には更新したいと思っています。
同じように2009年分は2010年中にといった具合で年1回更新していけたらいいなぁとは思っていますが、さすがにそんな先のことまではお約束はできないですね。
たぶんその時のブログタイトルは「日刊X-MENヒストリー・アニュアル」とかそんな感じで。
それではこれをもちましてGraymalkin 10周年記念企画「日刊X-MENヒストリー」、一旦の幕引きです。
最期までお付き合いいただいた皆さま、ありがとうございました。
2007年、Decimation M以降続くO*N*Eによる学園包囲設定は残っているものの有名無実化していく。
この年前半、Uncanny X-Men誌は宇宙展開の続きであり、X-Men誌は学園を離れての展開になっていくためである。
後半は後半で翌年冒頭のMessiah Complexに繋がる展開となっていくため、Decimation Mのカラーは薄れていく。
そのDecimation Mでは「ミュータントが減少して絶滅寸前」というところまで設定されてはいたが、それは198強制収容キャンプという形で差別問題のクローズアップにとどまっていた。
198キャンプによって絵づら的にはミュータントの人口密度が増しており、あまり「絶滅」という切迫した危機感はないのが実感だった。
この年、「M-Day以降新たなミュータントが誕生していない」という設定がさらに追加されたことで、ミュータント絶滅は「今そこにある危機」としてDecimation設定は再評価されることになる。
それはEndangerd Speciesを経て、2008年のMessiah Complex以降の展開へと繋がっていく。
この年前半、Uncanny X-Men誌は宇宙展開の続きであり、X-Men誌は学園を離れての展開になっていくためである。
後半は後半で翌年冒頭のMessiah Complexに繋がる展開となっていくため、Decimation Mのカラーは薄れていく。
そのDecimation Mでは「ミュータントが減少して絶滅寸前」というところまで設定されてはいたが、それは198強制収容キャンプという形で差別問題のクローズアップにとどまっていた。
198キャンプによって絵づら的にはミュータントの人口密度が増しており、あまり「絶滅」という切迫した危機感はないのが実感だった。
この年、「M-Day以降新たなミュータントが誕生していない」という設定がさらに追加されたことで、ミュータント絶滅は「今そこにある危機」としてDecimation設定は再評価されることになる。
それはEndangerd Speciesを経て、2008年のMessiah Complex以降の展開へと繋がっていく。
2006年のX-Menはその長い歴史の中でもかなり特殊な状況設定で展開することになる。
前年のHOMでの展開を受けたM-Day、Decimation M展開によりミュータントは絶滅寸前まで激減、学園は全てのミュータントに解放され、それをO*N*EのSentinels部隊が保護・監視する。
一方でMarvel Universe全体を見るとCivil Warによるヒーロー社会の変化、Annihilationによるコズミックヒーローの再生がすすみ、00年代後半の新たなMarvel Universeが確立される。
Marvel Universeという大きな傘の下に、ヒーロー物・ミュータント物・コズミック物それぞれの大枠で状況設定ができていて、その下に各タイトル個々の展開があるという、階層式ユニバース観とでも言おうか。
00年代前半のタイトル毎の展開が重視された時代からHOMを境にユニバース主体へと舵がきられた印象なのだが、こうした大枠のコンセプトがはっきりしている点が90年代までのごった煮ユニバースとは違っている点である。
その状況設定下での位置づけを決めることで他のタイトルとの差異をつけやすくなる一方、状況設定を理解するにはいろんなタイトルに手をださないと難しいという欠点もある。
核となるヒーロー物のCivil WarやWWH、ミュータント物ならDecimation MやMessiah Complex、コズミック物ならAnnihilationやAnnihilation Conquestなど、おおよそ年1回ずつあるそれぞれのイベントをフォローしないと新たな状況設定にはついていくのは難しい。
とは言え、個々のタイトルレベルではこうした状況設定から比較的フリーに展開しているタイトルも多いワケで、それほど状況設定縛りが徹底されるワケでもない。
こうした「きっちりと設定を決めつつも遊びを残して個別タイトルの展開を殺さない」というスタイルは、個人的には好感触。
状況設定を利用して盛り上げるタイトルとフリーに展開するタイトル、それぞれ別の楽しみ方をすればいい。
前年のHOMでの展開を受けたM-Day、Decimation M展開によりミュータントは絶滅寸前まで激減、学園は全てのミュータントに解放され、それをO*N*EのSentinels部隊が保護・監視する。
一方でMarvel Universe全体を見るとCivil Warによるヒーロー社会の変化、Annihilationによるコズミックヒーローの再生がすすみ、00年代後半の新たなMarvel Universeが確立される。
Marvel Universeという大きな傘の下に、ヒーロー物・ミュータント物・コズミック物それぞれの大枠で状況設定ができていて、その下に各タイトル個々の展開があるという、階層式ユニバース観とでも言おうか。
00年代前半のタイトル毎の展開が重視された時代からHOMを境にユニバース主体へと舵がきられた印象なのだが、こうした大枠のコンセプトがはっきりしている点が90年代までのごった煮ユニバースとは違っている点である。
その状況設定下での位置づけを決めることで他のタイトルとの差異をつけやすくなる一方、状況設定を理解するにはいろんなタイトルに手をださないと難しいという欠点もある。
核となるヒーロー物のCivil WarやWWH、ミュータント物ならDecimation MやMessiah Complex、コズミック物ならAnnihilationやAnnihilation Conquestなど、おおよそ年1回ずつあるそれぞれのイベントをフォローしないと新たな状況設定にはついていくのは難しい。
とは言え、個々のタイトルレベルではこうした状況設定から比較的フリーに展開しているタイトルも多いワケで、それほど状況設定縛りが徹底されるワケでもない。
こうした「きっちりと設定を決めつつも遊びを残して個別タイトルの展開を殺さない」というスタイルは、個人的には好感触。
状況設定を利用して盛り上げるタイトルとフリーに展開するタイトル、それぞれ別の楽しみ方をすればいい。
2005年1月、New Avengersが創刊されMarvel Universeは新時代に入る。
IronmanやCaptain Americaが中心になるのはこれまで通りだが、Spider-ManやWolverineが参加しているのが新しい。
これまで「Spider-ManはSpider-Man括り」「WolverineはX-Men括り」であり、Avengers括りとは別枠であったのだが、そういう線引きを取っ払って人気キャラをAvengersに投入することでタイトルの立て直しを図ったわけだ。
その結果Avengersが再生したのかというと、むしろそれまでのAvengersとは別物になってしまっていくのだが、それもまた00年代後半の持ち味ということになるのではなかろうか。
X-Menシリーズはこの年、前年のX-Men Reload後の展開のまま大きな変化はなく推移する。
雨後のタケノコのように乱立した個人タイトルは結局全て整理されることになる。
そしてこの秋、Marvel UniverseあげてのクロスオーバーHouse of Mが展開、ストーリー的にはScarlet Witch暴走からの流れなのでAvengers系のストーリーの引き継ぎなのだが、このクロスオーバーの結果もたらされる変化はX-Menシリーズに甚大な影響を及ぼすことになる。
IronmanやCaptain Americaが中心になるのはこれまで通りだが、Spider-ManやWolverineが参加しているのが新しい。
これまで「Spider-ManはSpider-Man括り」「WolverineはX-Men括り」であり、Avengers括りとは別枠であったのだが、そういう線引きを取っ払って人気キャラをAvengersに投入することでタイトルの立て直しを図ったわけだ。
その結果Avengersが再生したのかというと、むしろそれまでのAvengersとは別物になってしまっていくのだが、それもまた00年代後半の持ち味ということになるのではなかろうか。
X-Menシリーズはこの年、前年のX-Men Reload後の展開のまま大きな変化はなく推移する。
雨後のタケノコのように乱立した個人タイトルは結局全て整理されることになる。
そしてこの秋、Marvel UniverseあげてのクロスオーバーHouse of Mが展開、ストーリー的にはScarlet Witch暴走からの流れなのでAvengers系のストーリーの引き継ぎなのだが、このクロスオーバーの結果もたらされる変化はX-Menシリーズに甚大な影響を及ぼすことになる。




